『オリジナリティを獲得せよ』
今年の3月にある施設のオープニングイベントとして、河口洋一郎さんと野村万之丞さんのトークショーを企画し、私も進行役としてご一緒させていただいたことがあった。東大大学院の教授で世界的に有名なCGアーチストの河口さんと狂言の正統伝承者で総合芸術家の野村さんという異色の顔合わせで、お二人が共通項として語れることはあるのか・・・2時間のトークショーをどう構成するの?という心配する声はあちこちで聞かれた。ましてや、お二人とも超多忙な方々で、事前の打ち合わせの時間も取れなければ、こちらがお話していただきたいことを直接会って伝えることもできない。とりあえずは、進行役の私の気休めにしかならないであろうとは思いながらも、「オリジナリティの獲得」がテーマだと言う思いをしつこいほどに要所要所にちりばめた、当日のトーク台本を送っておいた。
<青と赤>
シーグラフというCGの学会の論文締め切りを間近に控え、数日前から徹夜続きだという河口さんと、ご自身がプロデュース、演出をつとめる「女歌舞伎」の公演のまっ最中で、当日神戸から新幹線で駆けつけるという野村さんのお二人が、とにかく身ひとつでよいから、無事姿を現してくれることを祈った。当日、トークショー開始1時間前、ふらふらしながら、まっさおな顔で駅の改札を出てこられた河口さんは「寝てないし、食べてないの。ちょっと5分」というと、駅の立ち食いそばやで、あっという間にカレーとてんぷらそばの2品を召し上がった。一方、その頃、神戸から駆けつけてくださった野村さんは、「春のアメリカ公演を控え、スタッフが皆出はらっているため、当日は万之丞一人で行かせます」というマネージャーさんの言葉どおり、ご自分でスーツケースを引っ張りながら、頬を紅潮させて階段を上がってこられた。
<ぶっつけ本番>
本番30分前を過ぎ、ようやく控え室で顔をあわせたお二人は、以前から酒席をともにすることもあったということで、「よおっ、久しぶり」と再会を喜び合いながら、お互いの近況を語り合う。「ヨウチャン」「マンノジョウ」と名前で呼び合いながら楽しげに語らうお二人の横で「本番まで20分もないのに、段取りも話していない・・・」と私ひとりが内心あせる。とりあえずは、お送りしておいた台本をお二人が丸めて手に持ってはいることを確認して(しかし、読まれた形跡はなさげだった・・・)、「幹は『オリジナリティをいかに獲得するか』ということですので、最後はそこに持ってきてください」とだけ念を押し、あとは枝葉がいかに繁茂しようが流れにまかせよう・・・という心境であった。
<裏方はプロたち>
ほとんどぶっつけ本番のゲスト+1名であったけど、そのステージはプロ中のプロがほとんど手弁当で支えてくれていた。展示スペースに仮設ステージをつくるということで、ローバジェットとその他もろもろの厳しい条件が立ち塞がっていたけど、ステージ問題はテレビ、舞台、ステージ、展示施設、なんでもござれで某ジャニーズ系のコンサートツアーなんかのステージ・セットを作っている会社のN島さんがローバジェットをものともせず、かっこいいステージを作り、照明や音響も担当してくださった。当日の前説や仕切りは、某テレビ局の報道ディレクターがボランティア志願、そのうしろにはプロデューサーも控えていてくれた。それから数日前から、バックスクリーンで流す映像を編集してくれていた人、当日、客入りの少なさを心配して、客席の前方を陣取ってくださったもろもろの友人たち、ゲスト対応でかけつけてくれたインプレオのスタッフ・・・、両脇は完璧に固められていたのだ。
<論説×短歌、俳句、詩歌>
野村さんの話はとても面白い。話題が豊富で、人の気をそらさず、人に伝える技のようなものを心得ていらっしゃる。話のストーリーが見えやすいので、聞きやすい。長文読解の論説問題を解く感じで野村さんを聞き、芸術鑑賞の短歌、俳句、詩歌系の問題を解く感じで河口さんを聞く・・・というふうに流れていった。私の真向かいにお座りになった河口さんは、ステージ上で、何度か顔面蒼白になりかけたのを見逃すことはできなかった。おそらくシーグラフの論文締め切りを前に本当に窮地にあったのと、睡魔に急襲された瞬間だったのだろう。しかし、後半は俄然、目が覚めたのか、2時間のトークショーが終了する頃になって、延長を強固に主張されていたのが、非常に面白かった。
<ゾロアスター教から光の三原則まで>
話のテーマはゾロアスター教から宇宙の原理まで、地理で言えば、種子島から中央アジアを越えて、ヨーロッパに行き、宇宙にとんだ。歴史で言えば、古代から数ヶ月前の出来事まで網羅した。一般常識も乏しい私に制御できるはずもなく、早々と白旗をあげてしまったのだが、途中、野村さんは広がりすぎたテーマを本来のテーマ「オリジナリティ」に自ら戻す試みをされたりしていた。河口さんも後半、私の顔色を伺いながら、「10ページくらいの台本があったんだけど、まったく無視しちゃって、多分、さっきから加藤さん、困ってるんだと思います」なんて、ステージ上でばらしちゃうもんだから、私も「最初から制御不能と思っておりましたので・・・」とやり返したら、客席はどっと、沸いてしまった。
<存在で語れる男たち>
トークショーは予想以上に評判が良かった。私も途中、話の流れをコントロールすることを放棄してしまった。(というよりできなかった)それが却って、つくりものではない、ライブ感の高いトークとなったということもいえようが、やはり、面白い生き様をしている人の話はそのままで面白いのだろう。「ひさびさにおとなの男の面白い話を聞きました」「なんだか、元気をもらいました」「こういう人たちのこういう話ならもっと聞きたい」といった感想が相次いだ。丸められた台本は一度も開かれることなく、2時間のトークショーはあっという間に過ぎた。
<シーグラフのカワグチ>
河口さんは、毎年夏に米国で開催されるCGの世界的学会シーグラフの常連メンバーであり、毎年、酒樽を持ち込んで「サケ・パーティ」なるものを主催されている。今年は7月26日から31日まで、サン・ディエゴ市内、ダウンタウンのロフトのような場所が会場となり、例年より狭い会場には、数百人が詰めかけ、身動きできないほどだった。例年、冷房が効きすぎるホテルの一室で震えながら参加していた「サケ・パーティ」も今年は人々の熱気で会場の気温はヒートアップした感じだった。河口さんのグロースモデルのCGが大きく映し出された壁の前で繰り広げられたボディ・ペインティングや琴の演奏のCGとのインタラクティブなパフォーマンスは、ステージがない分、客席に近く、よりライブ感が強く感じられた。こういった当日のパフォーマンスもギリギリまで何が起こるかわからない、というのだから、やはり河口さんの周辺は常にスリルに満ちている・・・。
<野村さんの復元阿国歌舞伎>
一方、野村さんの方は、阿国歌舞伎発祥400年記念にあたる今年の夏は、復元「阿国歌舞伎」をプロデュースされるということで、8月10日にさいたま芸術劇場で観劇させていただいた。ちょうどトークショーの頃は「女歌舞伎」を上演されていたが、今回もまた、「阿国」という女性に着目してのプロデュースである。古典芸能に世相を取り込みながら、現代に息づかせるという野村さんの手法や考え方は、わたしたち大衆にとってはとても受け入れやすい。今回も、そもそもこういった古典芸能は大衆芸能だったのだから、というところを存分に見せてくださった。市民参加の素人の役者さんたちも実際の見物人の役として、ステージに上がっていた。面白い試みを次々に打ち出す方である。野村さんの場合も、実際に幕があがる直前まで周囲の人々には何が起こるかわからない、のだそうで、数日前にマネージャーさんと話をしたとき、「どういう舞台になるのか、全ては万之丞のみぞ知る、でございます。私共は、早くそれが明らかにされ、皆が動けるのを待っております。」とおっしゃっていた。野村さんのマネージャーさんも、いつも大変そうで忙しそうである・・・。
<オリジナリティの人々>
新しいこと、人がやっていないことをやろうとする人は、つまり、やろうとしていることはその人しか見えていないわけだから、勢い周りの人を振り回すことになる。それでもやっぱり、新境地を拓く事は誰にとってもワクワクすることだから、みんな甘んじて振り回される。わさわさと人が集まってきて、わさわさと新しいことを作り上げていく。そういうふうに旗を振って未開の地に踏み込んでいける人たちの話しは刺激的だし、面白い。そんな素敵な大人のおとこたちのトークショーをまた企画したい、と半年振りに、河口さんと野村さんお会いして、あらためて思う今年の夏である。