写真家六田知弘との出会い

その方が、大きな荷物を抱えてオフィスにいらしたのはまさに一雨ごとに冬が近づく頃の小雨まじりの薄ら寒い夕方だった。ある出版社の方とオフィスでお会いすることにはなっていたが、彼に同伴者がいることは聞いていなかった。私は突然現れた来訪者に戸惑いながらも、コーヒーを入れ、会話の糸口を探して、簡単な自己紹介をしたりして場をつないでいた。すると突然の来訪の意図も告げぬまま、写真家だというその方は大きな紙袋の中から、いくつも大きな箱を出して、その中に大切に収められた大判の写真プリントを広げて見せてくれた。

ヨーロッパの古い修道院、洞窟の中の色鮮やかな壁画。イタリアのひなびた町のたたずまいとそこに暮らす人々。次々と目の前に差し出されるその写真世界は「美しく」もあったが「静けさ」が際立つものであった。日常的な暮らしの一コマ、かまどから沸き立つ湯気も窓からさす柔らかな日差しの中で籐籠に眠る小さな赤子も、その一瞬は鮮やかに生き生きと写し取られているのに、そこに流れる空気は一貫して静か、まさに静謐といえるものであった。

その方はボソボソと、決して流暢とはいえない語り口で、しかし、熱をもって自らの写真について語った。私はなぜ、突然この見ず知らずの写真家の来訪を受け、写真を何十枚も見せられて、熱心に説明に聞き入っているのか、状況をあまりよく理解しないままだったが、数時間はあっという間に過ぎた。小雨混じりはざあざあ降りに変わっていた。

ヒマラヤの山奥にこもること約18カ月、現地のシェルパの家に居候させてもらって撮ったという「ひかりの素足―シェルパ」、観光客が訪れることはめったになく、ましてや日本人が行くことなど皆無に等しい、イタリアの小さな町「ポリ」、この町にも数ヶ月間、住み着き、少しずつ地元の人に溶け込んで撮影したという「ポリの肖像」。これまでに刊行したこの二つの写真集でもまた、モノクロに自然光が溶け込む、静かで澄んだ世界を写し取っていた。

私は「静かで澄んだ世界」は音楽でも絵画でもジャンルに関係なく基本的に好む。ゆえに彼が写し取る世界は素直に心地よかった。「いい写真ですね」お世辞ではなく、心からそう感じた。

「僕は極力自然光でとります」とその方は言った。ロマネスクの修道院の回廊を照らす美しい光の具合も、ヒマラヤの山奥にひっそりと暮らす人々の台所に差し込む柔らかな光も、きっとこの人は何時間も何時間も粘って、納得のいく光のタイミングを待ったのだろうと思われた。この方を形容するのに「情熱」という言葉はあまりに不釣合いで陳腐だ。「熱さ」というよりはむしろ「ゆるぎないもの」を感じる気がする。どちらかというと「頑固」という言葉のほうが当てはまるのかもしれない。自分の視点が定まっていて、ぶれないという意味で。

数日後、その写真家の方から「僕のマネージメントをお願いできませんか」という電話をいただいた。「???」少しずつ、若手のクリエーターやアーティストが作品を発表したり、社会とつながる場を作ろうと、仕事として活動を展開しているところではあったが、仕事としても自分たちの力量としてもまだまだ未知数であった。「私どもでよろしいのですか?・・・何ができるか考えてからお返事します」と私にしては、珍しく慎重に答えたが、自分の中で答えは出ていたように思う。私の仕事はいつでも「ひょうたんからこま」だ。

こうして私は六田知弘さんという写真家に出会い、微力ながらも彼の企画実現のためのお手伝いをさせていただくことになった。まずはこれまでの仕事の履歴書を作りましょうということで、データベースも兼ねるような形のWEBギャラリーを作らせていただくことにした。それが今回完成した六田さんのオフィシャルサイトである。150枚もの写真が掲載されている。シャッターが切られたその瞬間の新鮮さがそのまま密封されたような、それでいて、静かで穏やかで、祈りの空間に身をおいたような、そんな写真世界が広がっている。ひとりでも多くの方にみていただければうれしい。

六田知弘オフィシャルサイト https://www.muda-photo.com/

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